吉田亜美「サマースプリング」

過去の自分について書くことが、彼女にとって最も残酷なことだった。
そういうコピーである。そこには彼女にまとわりついていた狂気、彼女が内包する狂気が淡々と、しかし母親が子供に語りかけるように綴られている。

狂気と一言で述べたが、そこには孤独感、コンプレックス、あるいは真の意味での狂気、そしていささかの僥倖が含まれている。
それが今に至る吉田亜美を構成する「成分」の一つとなった。しかしそれは結果論でしかなく、当時の少女にとっては「終わらない日常」でしかなかった。「終わらないということが終わらないということは、非常に残酷なことだ」「無邪気な狂気は人を蝕む」僕はそう思う。

社会人としてのタグを貼れる製品を出荷するための教育現場、しかしそこは歩留まりのよくない生産工場だった。
本来は安らぎを与えられるための休息の地、しかしそこは「終わらない地獄の日常」しかなかった。
苦しみや喜びを分かち合うものから「異質」とのタグを貼られたものからの語りかけがそこにはある。そういう一冊だ。

そこには町を楽しげに歩く文科系女子の姿とはまた違った文科系女子の姿があり、既存の文科系女子というタグを引っぺがす、そういう吉田亜美の姿が垣間見られる。