「仕事」「技術」「力」

僕が初めて働いたのは調理場で、料理長がアホほど厳しい人だった。
「コストに見合わない労働力は必要ない」と割り切る人で、その事を徹底的に叩き込まれた。

その後その料理長が亡くなってしまい、大学に入ってからはプログラマーや夜の仕事をして、一定の評価を得る事もできた。
人の倍働いて、倍いいものを作って、成果を上げる。それが仕事だと思ってきた。

掛け持ちが辛くなってきた頃、ある大学(東急沿線の日本人なら誰でも知っているだろう大学)の嘱託職員を募集していたので、それに応募し、そこで働く事になった。そこでは全く違う世界が待っていた。「仕事をする事が罪になる」世界もあるのだという事を学んだ。

その後は契約社員として主に建築の図面を引いたり、現場作業員などをした。そして最近、原稿を書く仕事をした。僕は文章が苦手だと思いながらも、それでもなんとか、書き上げた。

そんな日々を過ごしていて、ふと最近手があいていろいろ考える。

僕は「工学」即ち「技術」を学び、今後それで食っていく訳だけれども、本当に「いいもの」が望まれるのだろうか。例えば、とてもおいしい刺激的な料理よりも、そこそこの味の口当たりの良いものの方が結局は「売れちゃう」んじゃないか。マスプロ品なんかは確かに「売れてなんぼの金勘定の世界」だけれど、そこで自分を見失わずにやっていけるんだろうか。

そのまえに、僕がやりたい事は、最先端の技術を発見していく事なのか、それとも既存技術の応用(アプリケーション)から新しい製品を作り出す事なのか。企業に行くのか?研究室に籠るのか?

現実問題としては、技術屋の給料が低い事に対して、僕はそれでも貫き通していけるのか。それを僕はかえてやりたいと思っているんだけれども、35までにそれができるか。「技術で食ってきた」この国に生まれて、僕は、「技術屋の評価が低い矛盾」をなんとか覆してやろうという精神で臨んでいるけれど、それでも僕には、知識も、知恵も、まだまだ足りない。僕はもっと成長できるし、変わっていく事もできる。
それでも、結局は力不足に終わってしまうんじゃないか、そういう不安に見舞われる事が、最近ある。