ヴィジョン

大抵の人は「世間に自分の力を認めてもらいたい」と思っているだろうと思う。
では「何で認めてもらうのか?」と言うことだけれども、芸術、技術、学問、運動のうちの大体どれかに当てはまるだろうと思う。
この中で自分が出来るのは何か、と考えれば、僕は運動に関しては少なくても人並み程度で、類い希なる才能や努力を行ってきているわけではない。芸術に関しても、自分の(特に文章)力不足に愕然とするばかりだ。
となると僕の場合、学問、もしくは技術で勝負するしかない。

ここで、他に勝負するものがある人のヴィジョンと学問で勝負する人間に大きな乖離があると僕は考える。
学問で勝負する場合、特に理系学生なんかに当てはまると思うが、単位を取ること、や卒業することや就職すること、に目標を置いているが、他の人間、特に運動や芸術なんかで勝負をしようとする人間のヴィジョンに比べてあまりに小さすぎないかと思うのだ。
全てのことをうまくこなせる人間なんて殆どいない、と言うことは、裏を返せば、自分が勝負しようと決めた分野で転んでしまえば、その後かなりの苦戦を強いられるのが目に見えている。特にスポーツ選手なんて言うのはそれが顕著で、所謂僕ら学問で勝負する人間にはそれが見えにくい。この差がヴィジョンの置き方に大きな差を生み出していると僕は考える。

僕ら(つまり学問で勝負する人間)が考えなくちゃいけないのは、自分の技術で如何に新しいものを生み出し、それを世間に活かすか、であってそれを行う場所は「そのもの」を生み出せるのに適切な環境でありさえすればいい。
現実に飯を食って行かなくちゃいけない、と言う問題は転がっているけれど、ぶっちゃけた話、一週間は食わなくても生きては行ける。奨学金と言った制度を利用するか死ぬ気でやればノープロブレムだ。

僕が何をやりたいか、考えた結果が今の僕である。更に言えば、4年の前期の成績は確かに良かったが、今期で落ちてしまえばそれはただの「まぐれ」で終わってしまう。次につなげることが重要で、それはなぜかというと僕の目標が、それらをつなげていった先にある「世間に自分の力を認めてもらうこと」だからだ。力が欲しいと言い換えてもいいかもしれない。

まるで自己顕示欲の塊のような目標かもしれないし、これらはキレイゴトかもしれないが、そういう思いを秘めておくのと(もはや「秘めて」はいないが)、おかないのでは、きっと10年後あたりに取り返しのつかない差に繋がると考える。