納得できないこと2点

畠山賞の基準って何なの

発表の直前までおいこれ俺頑張っただろうと思っていた畠山賞を逃した俺乙。


畠山賞の選考基準は日本機械学会によれば

人格,学業ともに優秀な者の中から

とある。


さぁ人格とは何だろうね、と考えれば、果たしてよっぽど腐った奴でなければ漏れることはあるまい。と言うことはつまりほぼ数値上の結果であり卒業研究などにはあまり注力せずに一般教養などをとればそれなりに単位も成績も取れるのだろう、と言うことを考えようそうしよう。つまり人格などはさほど問題ではない。成績が良くて選考基準に上がることがあるが人格が最高でも成績が悪かったらだめだ、ということだ。


しかし個々で納得がいかないのは、じゃぁ俺が卒業生代表で記事書く必要ないんじゃね?人格、成績ともに優秀な方の文章のほうをよっぽど読みたいだろう、ということだ。
そんな文章も書けない奴に賞やるの?まぁ数字がすべてだからね。


僕の本音は以下。読まない方が良かろう。心が折れたときはどうやって修復していたか忘れるくらいの心の折れ方。
ぬか喜びさせんなっつーの。研究室の皆さん荒れてすみません。でも僕は本当に悔しかった!!!悔しかったんだよ!!!人生で一番悔しかったよ!!!!正直ね!!!!!!!!!!
二部という学部に入って昼間にバイトもせずにぬくぬく暮らしてたやつが賞を与えられても俺らの仕事は勉強することだから仕方ねぇよなぁ。
これは完全にそいつの悪口でこんなこたぁいいたくねぇけどバイト先を三日でクビになる奴の人格って優れてるのか?それで良いのか?どうなの?
学部とはかんけーねーからこれは完全に当てつけだけど院試落ちててもそいつは頑張ってたって言えるの?


正直この五年はクソ頑張ったという自覚があってこれだよ!!


あぁ良いんだな。きっと俺が間違っている。指導教官の言葉を借りれば「努力と成果は比例しない」それが現実。


「院で頑張れ」


そう言うことだ。もうやめて!理系二部生のHPは0よ!!!もうモチベーションあがらねーっつの!!!


この何日か前に二部生の奴ら何人かで飲みに行った。僕の金はなかったけどみんなで出し合ってくれたりしてお前が主席や!なんて言われて認めてくれて俺はうれしかったよ。
今日の発表聞いて愕然としたけど!!


久々に色々なものをぶちまけてどこかに消えたくなった。

ダブルパンチダメペアレンツ

うーん僕はねー正直二部で働きながら勉強することにコンプレックスがないかと言われりゃすなおに「ねーよ」とは言えないよ。
でも金がねーとか負担減らしたいって言う理由で学費の安い二部に入ったことに後悔は無いよ。一応やりきったわけだし。卒業したから言えることかもしれないけど。
でもそれ以上に自分の両親というのは両親ともに高卒と言うこともあってか学歴コンプレックスがとても強い。
電話をするたびに昼間のコースに行けないのかと言っていたので
「昼間のコースには二部の三年に進級する時に昼間の二年に編入するから通わなければならない年数は変わらない」とそのたびに説明していた。
昼間のコースに行くと言うことは学費が倍になり働ける時間はなくなるわけだから年数が変わらなければ正直メリットは「幅広い講義が取れること」以外にないよね。お金という切実すぎる問題が転がっている以上二部に残ることを決意してここまで来たわけだけど卒業と大学院に進む報告(合格が決まったときからずっと言ってる)をしてから卒業の祝いより先に「そんなこと聞いてねーよ」と言われると流石に怒髪天を衝く。


こいつらにどうやったら大学のシステムを理解させるかが不明。「大学に行ってねーからわかんねーんだよわかるように説明しろ」って言われたから説明したときに「分かった」って言っただろうがよ。
車選ぶ頭があるなら紙に書いてメモしとけクソがと言いたい。


相変わらず「子は親を選べない」という言葉が重くのしかかる。
もうやだこの家と思ったから二部に来てまでこれだよ。


あー幸せに大学に行かせて貰った奴らにはわかんねーだろうなー。僕も幸せに大学に行きたかったなー。サークルとかでエンジョイってか。
友人に頭下げてコンビニの廃棄弁当を貰うこの惨めさ!
もう俺死ぬといいね!!何のために生きてるかマジ分からん。生きることそのものがそもそもの苦痛であるとは良く言ったものだ。


資本主義万歳。親の愛を知らない子供の気持ちは親の愛を知っている子供には分からないし逆もまた然り。
生きることとは本質的に闘争であると改めて確認する卒業式の日。


また一つ心の大事な部分が壊れたね。お前ら卒業おめでとう。そして俺は死んだ。